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旧跡

ページ番号 1002402 更新日  平成27年3月21日

共立学校跡(東久留米市本町4-13-16 多聞寺前)

写真 共立学校跡
大正5年撮影の写真

共立学校は明治10年に南沢村・小山村・落合村・門前村・神山村などの村々が共同で設立した公立学校で、明治17年にこの地に校舎を新築しました。今でも、校舎前にあったヒバの木が1本残っています。

成蹊学校跡(東久留米市八幡町2-10-10 市ごみ対策課敷地)

成蹊学校跡
大正8年撮影の写真

成蹊学校は明治10年に前沢村・下里村・柳窪村が共同で設立した公立学校で、明治18年にこの地に校舎を新築しました。明治22年に久留米村が誕生した時は、このなかに村役場も併設されました。

楊柳沢御殿跡(前沢御殿)(東久留米市八幡町2-11)

東久留米市域は江戸時代に尾張徳川家の御鷹場で、寛永18年(1641年)から延宝4年(1676年)まで前沢村に鷹狩のための宿泊所が設けられ、楊柳沢御殿や前沢御殿と呼ばれました。
当時の遺構は何も残っていませんが、江戸時代の御鷹場御殿跡として貴重です。

武蔵野鉄道引き込み線跡(東久留米市学園町1丁目1番~2丁目1番他)

写真 たての緑地
たての緑地

昭和19年に武蔵野鉄道(現西武池袋線)東久留米駅から旧中島航空金属田無製造所(西東京市)へ敷設された鉄道引き込み線跡で、当時、中島飛行機武蔵製作所(武蔵野市)の関連会社であった同製造所へ、小型蒸気機関車が貨車を引いて軍用機エンジンを作るための原材料を搬入していました。現在は、その一部が遊歩道「たての緑地」として残されています。
旧跡指定は東久留米市所有地部分のみです。

北多摩陸軍通信所跡(東久留米市前沢5丁目他)

北多摩陸軍通信所跡
小金井街道から見た通信所と鉄塔、
昭和22年

昭和8年から昭和20年まで、海外無線の傍受を目的とする陸軍の通信所が設置され、昭和19年には敷地面積12万坪、高速受信機・低速受信機など53台の受信機、千数百人の人員を要する海外無線傍受の中心的な施設となりました。当時の施設は現存しませんが、通信施設の受信所や官舎のあった部分の区画は、道路などでほぼ当時の形状を留めています。
旧跡指定は東久留米市所有地部分のみです。

このページに関するお問い合わせ

教育部 生涯学習課 文化財係
〒203-0033 東京都東久留米市滝山4-3-14 わくわく健康プラザ2階
電話:042-472-0051 ファクス:042-472-0057
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。



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